久しぶりにもやっとする話題を見つけた。
何でも Google+ でフォロワーが一位だった女の子が、奨学金を打ち切られようとしているので募金して欲しいということらしい。
もやっとしたのは、別に彼女とそれを支える人たちの動機ではない。学校にもっと行けるようになりたいと思うのは当然の感情だと思うし、ネットのこういう使い方もそれはそれで「あり」だと思うからだ。では何故もやっとしてしまったのか。
それは彼女の背後に隠れている、ややもすると彼女よりも悲惨な境遇にいる学生たちの影を彼女の光が隠してしまっているからだ。敢えて言おう。彼女は弱者ではない。Google+ で一位というのは紛れもなく強者の証だろう。コネや人脈は並大抵のものではないのだから。彼女の共有し発信する情報はそれなりの価値を持つのだから。いや、逆に考えればそんな強者だから彼女が今回のこの活動のモデルになり得たのかもしれない、とは思うのだ。
私自身は学生時代は幸運にも親の仕送りで何とかなった(もちろん学校にも真面目に通ってました)からラッキーだったのだけど、それこそ苦心しながら――酷い場合は奨学金さえ貰えずに――バイトなどを経由して必死に学費を稼ごうとする若者が多いことは想像に難くない。彼/彼女「たち」までも救済しようとするのであればこの活動にはそれなりの意義があると思う。私も寄付をするにやぶさかではない。しかし、この活動で得をするのは誰なのか。せいぜい彼女自身と彼女を持ち上げる人々、ビジネスとしてこの活動を定着させたい人だけだろう。
これはだから端的に言って、「坂口綾優アイドル化計画」の粋を出ないのではないか。彼女がこれ以上に恵まれることによってこの企画の「顔」となり、そしてビジネスが始まるのではないのか、と。強者である――やろうと思えば、資本金の問題さえクリア出来れば起業だってそれこそ不可能ではない――人間が、有名人であるが故にネームヴァリューがあり人々の耳目を集めるだけの影響力のある人間が救われる一方で、あらかじめ学費は払えないから大学進学を諦める学生たちが数多といることを忘れてはいけない。将来的にはそういう学生も救済するというヴィジョンがあるのかもしれないが、それなら分かりやすい位置にその旨が書かれているべきである。
これもまた弱者の僻みとして受け取られるだろうか。それは認めなくてはならないだろう。しかし、どうしてもこれだけはこのもやもやが収まらないうちに書いておきたかった。一部の強者が(何度でも繰り返す。Google+ でフォロワー一位を獲得して、人脈も豊富に持っておりその意味で経済的には恵まれていなくとも――でも一応は「入学」出来たわけでしょう? そこまで辿り着けない人間もいるんですよ――その他の部分でかなりのところまでカヴァー出来ると考えるのは素人の発想だろうか。
私は、彼女を救済してはならないとは考えない。彼女自身困っているのであればそれを解消すべくこうした企画に乗る(乗せられる?)のはユニークな発想ではあると思う。しかし、彼女よりももっと困っている人間がいるということを想像出来ない人たち――ばかりではないだろうが――が早速寄付をしているのを見ると暗澹とした気持ちになる。あなたの身近にいる、彼女よりも困っている人間にこそそうした施しは行われるべきである。ビジネスとしてではなく、純粋な好意として。